松井館長の閑話休題

先の2014国際親善空手道選手権大会には世界各国から1600名に及ぶ選手が参加し、また大山倍達総裁二十年慰霊祭においても滞りなく催事を終了できたことは、いずれも偏に関係各位の皆様の御支援・御協力の賜物であり、深く感謝する次第である。

さて、今年4月26日は極真会館創始者・大山倍達総裁が逝去されて丸20年を迎える命日であった。年月の経つのは早いもので、現在世界大会や全日本大会で活躍する選手は、そのほとんどが大山総裁没後の新体制の下で入門し、育ってきた選手達であり、本当の意味で第2世代に遺伝子が引き継がれたという状況になっている。

世の中のあらゆる物事は、新陳代謝が図られ次の世代に引き継がれて後継していくことに価値がある。道場での稽古はもちろん、大会やその他の行事を通して極真会館、あるいは創始者・大山倍達の極真精神・武道哲学というものが、総裁ご自身が望まれたように世代を超えて未来永劫に引き継がれていくために、第1世代である我々が果たす責務は大きい。その上で、今頑張っている選手達、若い道場生達は、極真空手を正しく、力強く、その「心技体」を継承していってほしい。

そして今年、極真会館創立50周年を記念する行事の一つとして、大山総裁の命日にあたる4月26日に5年ぶりに百人組手を実施した。当初は全日本大会で2度優勝している田中健太郎君と19歳で全日本大会・20歳で世界大会と両方の大会で最年少記録を塗り替えて王座に君臨したロシアのタリエル・ニコラシヴィリ選手の2名が挑戦するはずであったが、残念ながら田中君に関しては百人組手に向けた稽古中の怪我によって今回は保留となった。とはいえ、今回のニコラシヴィリ選手の挑戦は、さすが現役世界チャンピオンの百人組手と思わせるにふさわしい見応えのある素晴らしいものであった。

約1年弱の準備期間はあったが、海外から日本に来て環境の変化や時差がある中で彼はよく頑張ったと思う。大山総裁が存命中の百人組手は私も含め1人2分であり、1995年の八巻建志君とフランシスコ・フィリォ選手の時からもし何か事故があってはいけないということで1人1分半(90秒)にしたのであるが、今回は50人あたりまでは淡々と進んでいき、「また2分に戻してもいいかもしれない」という考えが頭をよぎった。しかし、見ていても明らかなように60人を過ぎると大きな山が訪れてペースが急激に落ちていった。

ひとえに2分だから辛い、1分半だから楽だということではなく、これは体験した者にしか分からないと思うが、60人、70人あたりで辛さのピークを迎え、次第に平常心を失い、逃げ出したくなるような感覚に襲われるのだ。彼の組手を見ても分かるように、もたれかかるようにして相手の腕を掴むのは、触られることすら痛くて辛くて苦しくなる、つまり相手に触れてほしくないからなのだ。

百人組手でも一つ一つの組手に勝敗や優勢・劣勢の判断は下されるけれども、試合とは異なり、その優勢はより技術的な要素に比重が置かれる。試合では相手に対していかに肉体的ダメージを与えたか、どちらが試合に対して積極的だったか、どちらが攻撃の数が多かったかが問われる。相手に与えるダメージというのは肉体的なダメージ、技術的なダメージ、心理的なダメージということになるが、百人組手においては、肉体的にも心理的にも百人組手に挑戦する人間の方が一方的に消耗していく。そういった過酷な状況に追い込まれる中で、これを凌駕する技術的内容が問われるのが百人組手である。

正直に言って、彼の組手はどちらかといえばフルコンタクト空手のトーナメント方式に向いたスタイルであり、その印象は最後まで拭えなかった。試合同様、正面からぶつかって圧倒的な体力をベースにして相手にダメージを与えていく組手である。私が序盤で彼に指摘したように、彼の動作が大きいがために体力を消耗し、技のタイミングを欠いてしまった。そういった技術的視点で見れば、多人数を相手にする組手には不向きであったということであろう。

逆にいえば、体力をぶつけて最後までそれを貫き通した百人組手であったから、それは想像を絶する苦しさを伴ったと思う。彼の場合、23歳という若さは大いにプラスに作用したと思うが、173cmと体が小さく、手足も短いがためにその部分はかなりのマイナスであったことだろう。それにもかかわらず最後まで精神を乱さず、戦い続けたということはやはり世界チャンピオンと呼ぶにふさわしい他に類を見ないパフォーマンスであったと言える。

一つ言えるのは、百人組手は百本試合とは違うということ、百回続けて試合をやることは不可能だということだ。百人組手とは、一つの試みとして百回連続で組手を繰り返すということであるが、私の経験も含めて言えば百人組手は肉体的に自分の空手修行の中で何よりも過酷な経験だった。そういった逃げられない土壇場の状況に立たされて自分と向き合うことが百人組手をやる本来の目的なのだ。心技体ともに自分の気付かなかった自分自身の弱い部分を直視せざるを得ない状況で組手を続けなくてはならない。また対戦者や周囲の期待や応援に対する責任を感じる。それら日常の稽古や組手では得ることのできない経験を得ることに意義があるのだ。

そして百人組手を体験した者だけでなく、現場でその体験者を目撃した者が、またさらには映像でそれを観た者が後進を指導するという点において非常に大きな影響を受け、それを各々の空手指導に活かすことになるということだ。未知のものを知った人間が未知の人間に教えることにより、未知の人間は大いに想像力を膨らませる。しかし現実にそれが存在し得るという意識を働かせることにより、より身近なものとして捉えることができるのである。

特に今回は国際親善大会が1週間前に開催され、ロシアや海外の多くの仲間や選手・関係者が日本に残ってこの百人組手を体験することができた。もちろんニコラシヴィリ選手も彼らの応援によって勇気づけられたろうし、その姿を目の当たりにした者たちも大いに刺激を受けたに違いない。そういう意味でも今回の百人組手は意義のあるものだったと言えるだろう。

これはK-1で活躍したフランシスコ・フィリォ選手をはじめ、プロのリングで活動した選手たちについても同じことが言える。それは道場の中から全日本大会や国際大会・世界大会で活躍する選手が一人出ると、多くの道場生が刺激を受け影響されて自信と力が引き上げられていくのと同じである。これが組織の強さであり、団体としての価値なのだ。

いずれにしても今回は百人組手に挑戦するにふさわしい素晴らしい人間が挑戦した。ぜひまたいつの日か、百人組手に挑戦する人間に出てきてほしいと私は願っている。特に現在活躍している現役選手達や若い選手達には、極真空手最高峰の試みということで、無差別世界チャンピオンと同様に一人の空手家として目指すべき頂きの一つと考えてほしいと思う。

国際空手道連盟 極真会館
館長 松井章圭