松井館長の閑話休題

2014年を迎え約1カ月が経過したが、暦には西暦と東洋暦(太陰暦・旧暦)があり、東洋暦によると日本では2月3日の節分を越えて年があらたまることになるし、アジア諸国では旧暦で正月を祝う地域も多い。その意味で言えば、東洋に於いては2月で本当の意味の新年を迎えることになるという見方もできる。

もちろん世界的に統一した暦を用いるということで普段は西暦を基盤にしているわけだが、東洋の暦に節分や彼岸、あるいは冬至、春分、夏至、秋分などがあるように、アジアに暮らす我々にはこの地域の気候や風土に根差した生活習慣がある。そして日本における生活習慣や文化もこの地に根差したもので、それは日本という特殊な地理的環境が大きく影響していると考えられる。

例えば日本は、古来より「日の本の国」「日の出ずる国」とされてきた。一方、朝鮮半島は日が出た日本から見て朝の鮮やかな国、そして中国は世界の中心に華咲く国ということで中華ということになるのだと思う。そういった大きなアジアの中にあって、日本は世界でも非常に特殊な地理的環境にあった。

日本は大陸と直接つながらない海に囲まれた小さな島国である。近代以前、海を渡って国境を越えていくというのは大変な作業であったし、江戸時代には数百年におよぶ鎖国という政策も施行されていた。そのような地理的環境や政治的状況の中で、人々の意識は自然に内向していくことになったのではないかと思う。

これは私見ではあるけれども、内向することによって全てがそこに「溜まる」。日本はそういった「溜まる」地域だったのではないかと思う。「溜まる」とどうなるかというと、物事が掘り下げられ、あるいは煮詰まり、そこに熟成や醗酵が起きてくる。大陸から半島を経て、また空手のように元来大陸から琉球に伝わり、さらに日本列島の小さな島々を伝わりながら本土に入ってきた技術など様々な物事が、熟成や醗酵により「術」が「道」に昇華し、「道具」が「芸術」に昇華していくという特性を持っていたのではないか。

空手ももちろんその中の一つであるし、陶磁器などの道具、書道や華道、茶道、また国技である相撲もその流れの一つなのかもしれない。「術」として入ってきたものに対し、この先に何かがあるのではないか、もっと素晴らしいもの、美しいもの、その本質とは何かということを追求していく姿勢、さらにそこに向かう人間の生き様まで掘り下げていくことによって、「術」から「道」に昇華していく道筋をたどっていったのだと思う。その証拠に、中国では武道とは呼ばず武術として、「~~術」や「~~拳」、琉球では一つの流派を現す言葉として「~~手」と呼ばれている。そのことを基にして言えば、我々が追及している空手道や武道とは、まさに文字の通り「戈を止める道」であるという本質を考えながらそこに臨む必要がある。

日本は極東の小さな島国であるが、その昔、江戸はロンドンやパリと比肩するような100万都市で、文化的水準も高かったと言われているし、また戦後の経済成長を見ても日本の持つ潜在的な力は、そういった熟成や醗酵させて物事を追求する姿勢が大きく影響しているのではないかと思う。

武道や武士道というのは日本的な言い方であるが、大きく言えば世界に普及している格闘技や格技というものの原点を見ていくと、実は日本を発祥的にしているものが非常に多い。こういったことを念頭に置き、アジアが新年を迎えるこの2月を機に、今年一年の指針や抱負をそれぞれが改めて考え、より充実した一年を過ごしていくように努めることが大事なのである。

ここでもう一つ言っておきたいことは、我々は国際化の中でアジアやオリエンタルという意識が希薄になっているということである。それは今の我々の生活環境にも原因があるのだが、食生活も含め生活様式の西洋化が一般的になっていることに依って、人々の体格や体型も少しずつ欧米人に近くなってきているということが言える。身長が高くなり、体格が良くなることは、当然喜ばしいことではあるが、その中身が実際どうであるのかというのが根本的に重要なのである。

人間は、人種的に言えばモンゴロイド(黄色人種)、コーカソイド(白色人種)、ネグロイド(黒色人種)に分かれているが、数十万年前は基本的に黒色人種1種類だったと言われている。人類の発祥がアフリカのある地域だという説をもとに考えるならば、そこから世界中に人類が拡散していき、数万年、数十万年と続く年月の中で各地域にふさわしい体格や体型や機能を持つことになっていった。そして18世紀の産業革命以降、加速度的に文明が発達していったのだが、数万年、数十万年かけて培われてきた人間の体内の機能が、ほんの数百年程度でその変化に適応できるはずはない。特に近現代の急速な変化に人間の体が対応できるわけもなく、どこかに歪みを生んでしまう。

この過程を空手の稽古体系に置き換えるならば、特に競技者の場合は欧米人とも競い合うということになれば、長い歴史の中で積み上げられてきた東洋人に適した鍛錬法から逸脱してしまい、これまで体質の違う欧米人たちが行ってきた、悪く言えば促成栽培的な、いわゆる「トレーニング」という方向に急速に移り変わっていった。

競技者は、今の時代に適応し、ルールに則ったペースで試合を積み重ねていかねばならない。しかし、本当に我々にふさわしい稽古方法とは何なのか、また今まで積み上げられてきたものの中で我々が見失っているものは何なのかということを今一度掘り下げていく必要があるのではないかと思う。

私自身も過去、短い期間だったけれども15歳から25歳までの10年間、競技者として100パーセントの生活を空手競技に費やして過ごしてきた。結果を追い求めるがゆえに、必要以上に焦り、急ぎ、若さゆえの無茶を重ねてきたのだが、現状ではその副作用や後遺症に悩まされている部分もある。

競技回数が著しく増加している現在、また競技者の低年齢化が進んでいる現在において、我々指導者は彼らが今後健全で健康に成長し、有意義な人生を送れるような正しい指導をしていかなければならない。道場生の指導的な役割にいる人間は常にそのことを念頭に置いて、方法を研究し、勉強しながら現場の指導にあたること。それが我々の責務である。

近年は少年部の道場生が非常に多いこともあり、子どもたちが、また子どもたちを預ける父兄の方々が、空手をやって本当に良かった、入門して良かったと言っていただけるような、心身ともに健全に発育する現場環境を作るように最大限努めていくとともに、極真会館全体でこの意識を共有していきたい。

国際空手道連盟 極真会館
館長 松井章圭