昇段レポート


「昇段審査を終えて」
野松修治/初段/兵庫・大阪南支部

私が極真空手に入門するきっかけは、一枚のポスターからでした。徳田忠邦師範代の指導で羽曳野市に道場を開設するため、生徒を募集するもので、師範代の勇姿が写っていました。それまで本屋などで空手雑誌を見てもあまり感じたことのない感情が蘇りました。

30数年前に持っていた空手への思いや、あるにがい出来事を思い出しました。

当時、私は他流派の道場に通っていましたが、寸止め空手の道場でも大山総裁の『ケンカ空手』『実戦空手』の極真会館に興味を持って見ていて、道場生たちと話したりしていました。

その中の一人で私より3歳下で19歳の先輩がいました。ひょうきんで道場では人気者でした。一番親しくしていましたが、私が通うようになって7、8カ月経った頃、その子の兄で有段者が試合に出るので組手の相手をしているとき、もともと怪我をしていた手の指の股を裂いてしまい、数針縫うものだったため、次の練習日には稽古をせず見学だけして帰ろうとしたとき、弟の方が「野松さん、怪我を早く治して、次の試合には一緒に出ましょうよ」と声をかけてきました。私自身、当時は試合にあまり興味がなかったので、適当に生返事をしてしまいました。

それから数日して夕刊紙を読んだとき、彼の交通事故死を知りました。ショックでした。彼の最後の言葉とそのときの笑顔が忘れられず、何年か心に残っていました。

当時は仕事も深夜まで続くことが多くなり、そのこともあって自然と道場へも足が遠のきました。それでも時間のあるときは家の横の電柱で拳を鍛えたり、基本稽古を繰り返していましたが、休んでいる間に原因は分かりませんでしたがいつの間にか道場が閉鎖されていました。それきり他の道場を探す気もなく、できたら極真の道場にと思っていました。

それから何度か引っ越しをし、30年経ち私が53歳になっていたとき、一枚のポスターが私を極真空手に入門させてくれました。

週一回の稽古でも不摂生だった体にはきつく感じることもありましたが、とてもやり甲斐があり、楽しいものでした。

ところが半年ほど経った頃、自転車で通勤途中で転んでしまい、膝の靭帯と半月板を痛め、整骨院で治療しながらテーピングをしての稽古が続きました。

初めて神戸本部道場で行われた3日間の夏合宿での昇級審査会で、初日午後に中村師範が指導されているときに、力み過ぎたのか五本蹴りで上段廻し蹴りを蹴った瞬間、膝に激痛が走り靭帯を断裂させてしまいました。

アイシングやテーピングをしながら、なんとか3日間耐え、最終日の昇級審査を受けることができました。最後の組手は最悪でしたけれど、足を引きずりながら家路につくときの満足感、高揚した気分は、今も忘れません。

その後、手術して2カ月仕事を休み、半年近くリハビリしなければなりませんでしたが、徳田師範代の指導で他の道場生たちと一緒に練習できるようになることが励みでした。

壮年部として極真空手の華である各大会にも参加する機会を与えられ、試合結果は決して満足いくものではありませんが、自分自身にも負けないように、これからも挑戦し続けていきたいと思います。

徳田師範代はじめ、清水指導員、好井さん等、羽曳野道場生、一緒に昇段審査を受けた白石さん等、堺道場生たちとのバーベキューや食事会、試合での応援やサポートは大いに勇気づけられました。今度の初段の審査での10人組手でも弱気になりそうな気持ちを抑え、何とか耐えられたのも皆様の指導と応援のおかげだと感謝しています。

私の空手人生は、これからが本番だと心得、謙虚に、初心に帰って精進したいと思います。押忍。