昇段レポート


「極真空手の存在を知り20数年の夢を叶える」
荒木康弘/初段/兵庫・大阪南支部

私が極真空手の存在を知ったのは20数年前の高校時代でした。クラスの友人の机の上に置いてあった『空手バカ一代』を読んで、とても衝撃を受けたのですが、何よりその本の中に登場する人物が実在するということに大きな衝撃を受けました。

その本の持ち主の友人は空手を習っており、いろんな事を教えてもらいました。空手に憧れ、拳を鍛えるために拳立て伏せをコンクリートの上で行い、とても痛かったことは今でも覚えています。

そんな高校時代を過ごしてきて、いよいよ進路を決める時期がやってきました。私は大学、もしくは専門学校に進学することを決めていました。そしてもう一つ決めていたことがあります。それは極真空手の道場がある地域に行くことです。

当時、地元には極真の道場はなく、当時の機関誌『パワー空手』の全国の道場一覧ページには、どこを探しても地元には道場がありませんでした。進路先と極真空手の道場所在地が一致する地域を探した結果、私は大阪に決めました。

大阪の専門学校に進路が決まった私は、4月1日より大阪に引っ越しました。

4月1日、まだ専門学校の入学式には早すぎますが、極真空手の道場を早く見つけたかったのでした。

大阪へ引っ越して一番最初にしたことは道場探しでした。地図で調べ、何とか探し出して入門したのは、大阪の住之江道場でした。専門学校時代の2年間お世話になりました。その後、地元に戻ることになりますが、当然極真の道場はありません。でも空手を続けたくて地元の空手道場に通うことになりました。

それから数年後、極真の道場が地元にできましたが、すぐには極真の道場に通うことはありませんでした。なぜなら、地元の道場にお世話になっていながら、すぐにその道場を辞めて「極真空手を習いに行く!」という気持ちにはなれませんでした。

年月が過ぎ、やはり極真空手への思いは捨て切れず、6年前の34歳のとき、極真に再入門しました。当初は基本稽古、移動稽古、型など慣れない体の動きにとても苦労しました。これは現在もですが……。

そんな私が遂に昇段審査を受審するときが来ました。

昇段審査では先生や道場の仲間に支えられ10人組手も無事に終わりました。

ここまで育ててくれた槇先生、そして道場の仲間には感謝の気持ちで一杯です。これからは自分自身の稽古はもちろん、極真空手の発展のために頑張っていきたいと思います。

最後に、中村誠師範はじめ、槇先生、兵庫支部の師範代、指導員の先輩方、道場の皆様、本当にありがとうございました。押忍。