松井館長の閑話休題

昇級審査や昇段審査は、稽古を続けていく上でのモチベーションを高めるためにも非常に大切なことである。特に少年部の道場生にとって帯の色が違ってきたり昇級して賞状をもらうことは、大きな励みになり、また目標になることだろう。

しかし、近代に於ける従前の武道には白帯と黒帯しかなかった。そこから白帯・茶帯・黒帯となり、極真会館も大山総裁の時代は白(無級)・青(8級・7級)・黄(6級・5級)・緑(4級・3級)・茶(2級・1級)・黒(初段以上)という昇級システムがあった。そして私が組織を引き継いでから少年会員が増えたということもあり、10級・9級を設けて白と青の間にオレンジ(橙色)を挟むシステムを採用した。

昔から「石の上にも三年」と言われるように、本来であれば空手では「立ち方三年、握り方三年、突き方三年」とされ、途方もない時間をかけながら実際には何も指導されなかったり、間違ったことを正しいことのように指導されることも多かった。そのような中で、門下生は自分自身を客観視し、物事を掘り下げて考えながら稽古にあたらなければならなかった。昔の道場は何も教えないことの代償として、自分の心理の中で問答を繰り返しながらそこに臨むような稽古を門下生に習慣化させたのである。

しかし、現代社会においての道場は、垣根を落として間口を広げ、老若男女を問わず、より多くの層が健全に心身を鍛えるという意味での社会体育としての重要な役割を負っている。そうであるならば、従来の一子相伝的なものではなく、各々の門下生の異なる価値観や個性、目標設定の中で、極力それら全てに沿えるような、各々が望んだものを得られるような、最大公約数的な指導体制を作っていかなければならない。

もちろんその中で変えてはいけない部分もある。山の頂点は、どれだけ裾野が広くても、またどこから登っても、一番高い1箇所であるということは変わらないが、多くの人がそこに登れるような様々なルートを作っていくことも必要だ。道なき道を切り拓いて行くのではなく、指導者である我々がしっかりと案内してやらなければいけない。その過程の中で、山登りでいえば五合目とか八合目というように、一つ一つの段階を踏む位置づけとして審査がある。

何でも言えることだが、出来ることと出来ないことを自分自身が把握することが重要である。その時期や成長の過程によって課題を設け、これはやらなければならないという問題を自分に提起し、それをクリアすること。そういった小さな山を一つ一つ乗り越えていくことによって成功体験を積み、自分に自信を持つことによって、さらに次の大きな山にチャレンジしていく。審査会とは、心理的あるいは肉体的にそういうことを促すためのものである。

審査会では、課題や宿題があるのだから何もせずにそこに臨むことは良くないことだが、全てをクリアできるかどうかが最も重要視されるわけではない。審査はある意味試験である。これは受験にも言えるが、試験は他人が合否を判断するのであるが根本的には自分自身が自分の出来ることと出来ないこと、強い所と弱い所、得手不得手を把握するためにある。自分のそのときの状況を自分自身が把握できるようになるために、審査員の目を借りて自分を客観視する。現状の自分を知るために審査があるのだ。

おそらく入門した当初は全ての人が黒帯を目指して稽古に励むことと思う。しかし、個々の様々な状況の中で挫折したり、あきらめたり、また違う道を選択する人もいる。できるならば、自分自身が何かを求めて何かを始め得たいと思ったものを得ることができた、目指した目標を達成することができたという証明のためにも、極真空手の門を叩いた人、全員が黒帯・初段に到達するように、またそのことが日常生活やその後の人生の大きな糧となるように、ぜひとも途中であきらめることなく頑張ってほしいと思う。

国際空手道連盟 極真会館
館長 松井章圭