松井館長の閑話休題

大山総裁は、空手の稽古においては「力の強弱、技の緩急、息の調整」が最も大事なことだと言われていた。空手の稽古では、自分の中に潜在的に眠っている機能を呼び起こし、自分の持っている全てのものを100パーセント使い切るような稽古を心がけなければいけない。そのヒントがこの「力の強弱、技の緩急、息の調整」の中にある。

稽古の際に重要なのは、まず一つは体の「関節の可動域をいっぱい」に使うこと。曲げるときは曲げる、伸ばすときは伸ばす、縮むときは縮む、大きく広げるときは大きく広げるというように、体を伸び伸びと使う。そして使ったときに「体を一体化」するということ。

次に、「力の強弱、技の緩急」という観点から述べると、人間が力やスピードを発揮するときは0から100までを活かしたときに初めて100パーセント使い切ったということになるのだが、組手などで相手と向かい合うとどうしても緊張するし、興奮もする。その状態では知らず知らずのうちに体に力みが生じ、その力みを20あるいは30とするならば、仮に100までを使い切ったとしても、力んだ分を差し引くと70や80の力しか発揮できていないことになる。

また、通常の状態であっても100の力を全部出し切ることが困難であることを考えると、自分ではどんなに思い切り力を発揮しているつもりでも実際には70から80の力しか発揮できないものだ。したがって、70の力が発揮されている中で力みが20あるとすれば、差し引くと50である。ということは持っている力のうちの半分しか使っていないことになる。自分では精一杯動いているつもりでも、実際はこのくらいが限度なのである。

これには、まず「0にする努力、そして100を振り切る努力」の両方を常に念頭に置いて同時に稽古をしなければならない。これが「力の強弱、技の緩急」を100パーセント使い切るということなのだ。

そしてもう一つは「呼吸=息の調整」である。

空手の稽古は思考の作業であるが、常にその思考を具現化するための運動であるとも言える。その運動には反復が必要になり、反復をともなう運動は体力を使うものだし、消耗する。そのときに体は酸素を必要とするから、新しい息を吸おう、体に入れようとする。そうしたときに息が乱れるのだ。

ところがこの時、体に残った古い空気を吐き出す前に新しい空気を入れようとする意識が働くため、吐くことを忘れて吸うことのみに力が行くから充分な酸素が入ってこない。だから小刻みに呼吸を繰り返すことになる。人間は赤ん坊のときに「おぎゃー」と泣いて息を吐いて生まれてきて、亡くなる時は息を引き取るといって息が吐けなくなったら死ぬということからも分かるように、呼吸は実は吸うことよりも吐くことが大事なのである。人間の体は、息を吐き切ってしまえば、自然に新しい空気が体の中に取り込まれる構造になっている。

そう考えると、自分の体や心を自分でコントロールすることがいかに難しいかということが良く分かる。心肺機能を鍛えるにあたっての呼吸運動も、常に息を吐くことを心がけて、吐き切るように大きく呼吸する。そういったことを深呼吸や、「のがれの呼吸」、「息吹き」を通じて体に覚え込ませることが必要になってくる。

そして日常的な心肺の鍛錬、息を吐く鍛錬が稽古のときに発する「気合い」である。だから気合いを大きく入れて動作するということは、ただ大声を上げれば力が出るということではない。稽古では手足の動作はもちろん、気合いや呼吸などそれぞれに意味があり、声を出すことによって何が鍛えられていくのかということを、よく考えながら稽古することが重要になってくるのだ。

以上の三点。稽古するときは関節の可動域を大きく使い自分の体の機能を100パーセント使い切る、力の強弱・技の緩急で0から100まで使い切り振り切る、そして息の調整では息をいかに吐くかを意識して稽古する。そういうことを日常の稽古の中から覚えて、より自分の持っている潜在能力を顕在化させるように努力してほしい。

国際空手道連盟 極真会館
館長 松井章圭