極真の歴史

1990年~1999年

1990年
5月
ソ連ウクライナ共和国で開催された武道フェスティバルに代表団を派遣。
11月
ソ連スポーツ省の幹部が来日、対面 。
1991年
5月
モンゴルに正式な極真会館組織発足。
11月
第5回オープントーナメント世界空手道選手権大会を開催。
1994年
4月
大山倍達肺癌のため死去。
6月
故大山倍達の遺志により、後継者として松井章奎が指名され極真会館館長に就任、現在に至る。
10月
第26回オープントーナメント全日本空手道選手権大会開催。 全国128名の選手が出場。観客動員数16000人。
1995年
5月
フランシスコ・フィリオ、八巻建志、百人組手完遂。
6月
第12回オープントーナメント全日本ウエイト制空手道選手権大会開催。全国195名の選手が出場。観客動員数1万人。
11月
故大山倍達亡き後、初めて世界大会にあたる、第6回全世界空手道選手権大会開催。優勝は八巻建志。世界71カ国より168名の選手が参加。
1996年
1月
国際空手道連盟極真会館の大会ルールであるフルコンタクト(直接打撃制)をはじめて、女子の世界大会に導入し、第1回全世界女子空手道選手権大会をニューヨークにて開催。23カ国から102名の選手が参加。
6月
第13回オープントーナメント全日本ウエイト制空手選手権大会を大阪で開催。248名の選手が参加。6,000人の観客動員。
11月
第28回オープントーナメント全日本空手道空手選手権大会を東京で開催。128名の選手が参加。2日間の延べ観客動員数13,000人。
1997年
4月
97全世界ウエイト制空手道選手権大会を両国国技館で開催。全世界8地域より90名の選手。観客動員数9,000人。
1998年
2月
第一回極真祭開催
12月
極真会館型競技委員会発足。
1999年
3月
総本部道場を現在の西池袋2-38-1に移転。数見肇が極真史上8人目となる百人組手完遂。
5月
ウクライナ・キエフにて99全ヨーロッパ選手権大会開催。
6月
ニューヨークにてアメリカズカップ99を開催。
7月
東京・新宿にて第1回極真会館型講習会を実施。
10月
JR山手線全車両に第7回世界大会をPRしたADトレインが発車。
11月
東京体育館に3日間計23,000人の観客を集め、 第7回全世界空手道選手権大会が開催され、フランシスコ・フィリォ(ブラジル)が外国人として初めて世界チャンピオンの座に就く。
12月
4年後の王座奪還を目指し、極真会館強化選手委員会が発足。