松井館長の閑話休題

「国際空手道連盟 極真会館」は、来年2014年に創立50周年を迎える。1964年に設立された極真会館は、もちろん突発的に出来た団体ではなく、その前身は大山倍達という一人の空手家が興した「大山道場」という一道場から始まったものである。

流派を問わず、大山倍達というカリスマに惹かれて、またその志に惹かれて集まった強者たちが切磋琢磨した、それが渦を成したのが「大山道場」で、当時そこには様々な個性や価値観があったと聞く。

「大山道場」は、ややもすれば混沌としてまったく形を成さない、例えば画用紙の上に好きな絵の具を叩きつけたような、近くで見れば何を成しているのか分からない構図の中にあったと想像が働くが、それを俯瞰したときに、実は誰もが驚くような大きな絵になっていたのではないかと思う。大山倍達の求心力によって一つにまとめられていたわけだが、それを世に問う形で組織化したものが現在の極真会館の始まりであったと考える。

そして、大山倍達総裁が1994年4月に没して以降、我々が組織を引き継ぎ、現在まで休止することなく活動を続け、新生極真会館あるいは第2次極真会館として、来年2014年に創立50周年を迎える。

かつて大山総裁は、「100人の弟子よりも1人の強い弟子が欲しい」「私は老いたら山に入り、人知れず滅してゆく」とよく話されていたが、総裁自身、好むと好まざるとに関わらず極真会館という団体を作り、作ったからには他の団体に負けるわけにはいかないという信念の下に明確に組織化を図り、団体の方向性が示され、我々がそれを引き継いだのである。

その過程で1969年に「第1回全日本空手道選手権大会」と銘打ち、世界で初めて直接打撃制空手の競技大会を開催した。当時、実戦空手、ケンカ空手と注目され、または揶揄され、既存の勢力から様々な「非難、中傷、抵抗、妨害」に遇いながらも、それらを中央突破し、「破道」・「亜流」の中から極真空手は世界の空手の「王道」となっていった。この極真会館という組織を引き継いだ我々は、それを誇りに胸を張って今後も活動していきたい。

その目指すところは、総裁が言われたように、「極真空手とは、理念のある空手である。地に則った基本、理に適った型、華麗なる組手」、これをまさに体現するような空手を目指し、次の世代への確かな引き継ぎを行い、来たるべき100周年に向かって、さらに歩みを進めていきたいと思う。

国際空手道連盟 極真会館
館長 松井章圭